何度でも泣ける『魔女の宅急便』

もう何度も見たのに、ストーリーも熟知しているのに、セリフもそらで言えるのに、見るたびに泣いてしまう映画がある。それが『魔女の宅急便』だ。御存じ、魔女の修行中である少女キキの独り立ちを描いた物語である。

泣ける映画は世の中に山ほど存在する。もともと涙もろい自分の場合は特にその数が多い。『タイタニック』『ビッグフィッシュ』『猟奇的な彼女』『グッド・ウィル・ハンティング』『陽のあたる教室』『マイ・フレンド・フォーエバー』など、枚挙にいとまがない。ただ、これらの映画は回数を重ねるごとに感動は少しずつ減っていき、流す涙の量もそれに伴って少なくなっていく。ところが『魔女の宅急便』は涙の量が減ることはない。むしろ増えているようにすら感じる。

そもそも『魔女の宅急便』の泣けるポイントはどこなのか。それは、魔法が弱くなってしまったにも関わらず、キキが無我夢中でトンボを救出に向かうシーンだ。具体的には、テレビ中継クルーの背後を一直線に飛んで行くシーンに始まり、市民全員が「がんばれ!」とコールをする場面で感動は最高潮に達する。

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あまり歓迎ムードではなかった市民たちが全力で応援しているとか、リポーターが中継中にも関わらず思わず応援をしてしまうとか、そういう細かいポイントは数あれど、なによりキキが一生懸命にがんばっているということに感動を禁じ得ない。自信を喪失して、自虐的になって、スランプに陥っていたはずのキキが、必死にがんばっている姿が感動を呼ぶ。

前述した『タイタニック』や『猟奇的な彼女』はたしかに泣けるし、上映時間も長いのでそれなりに登場人物に感情移入もできる。しかし、自分自身がああいった稀有な体験をすることはほとんどない。ところが、キキのようにスランプに陥り落ち込んでしまうことは決して非日常的な出来事ではない。魔女の存在はフィクションでも、その中でキキが体験していることは非現実的どころか自分自身にとって、もっとも身近な苦難なのだ。

魔女の宅急便』を初めて見たのは中学生になったばかりの頃だったが、正直言ってそれほど面白いとは感じなかった。もちろん感動もしなかった。ナウシカラピュタのほうがずっと面白いと思った。ところが、大人になってから見返してみたら、思わず涙が出てしまい自分でも驚いてしまった。それは、自分がそれまでに何度も挫折やスランプを経験したからこそ流れ出た涙だったと思う。中学生の頃の自分は、幸か不幸かまだ挫折を知らなかったのだ。

人間は、普通に生きていれば挫折をする。スランプにもなる。落ち込みもする。それは当然だ。そこから抜け出す方法は人それぞれだろうが、自分は『魔女の宅急便』を見返すことが、上を向く手段のひとつになっている。

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