薄弱な知の重ね塗り

 使い古してすっかり色褪せてしまった蛍光ペンを静かに引くと、淡く、かすかにその箇所が黄色がかった。遠くから見たらわからないくらいのわずかな変化。線を引いた自分だからこそかろうじて把握できるほどの微少な変化。その線を引き立たせるため、僕は同じ箇所に重ねて線を引く。何度も。何度も。何度も。

  30年以上前に買った蛍光ペンなんてこんなものだ。買ったばかりの頃は、にじみ過ぎるほど潤沢だったインクも経年とともに消耗し、ペン先だってずいぶんくたびれてしまっている。幾重にも塗り重ねなければ、もう蛍光ペン本来の役目を果たすことができなくなってしまった。

  この決して買い換えることのできない蛍光ペンを今後も使い続けるためには、これまでの何倍もの努力と苦労が必要になる。

 

 なぜでしょうか、ここにきて初めて勉強がつらくなっています。これまでも、勉強が進まないとか、はかどらないとか、そういうスランプ状態に陥ったことは幾度となくありましたが、それらは単に調子が悪いというだけで、勉強自体がつらくなったわけではありませんでした。今は正直かなりつらいです。

 生講義が終わり、ペースメーカーを失ったことが原因のひとつではあると思います。人間って、360°方向に道が拓けると、戸惑ってしまうものですね。ある程度の道標や同伴者がいないと、その場で立ち止まってしまいがちです。

 くわえて、これまでやってきた成果があまり上がっていないことも遠因になっていると思います。何度も読んだはずのテキストなのに、読み返すたびに新しい知識の発見があるのだから困りものです。いったい以前はどこを読んでいたのだ、と。

 もちろん頭脳はある時期を境に経年劣化していくのだから、多少覚えが悪くなるのは誰もが避けては通れない事象なのでしょうが、このペースだと合格レベルに達するのはいったいいつになることやら……。こうして戸惑っている間にも、ライバルたちは黙々と過去問をこなしているわけで、そういう焦りがさらに焦りを生んでしまう悪い負のスパイラルに陥っています。

 ……などと愚痴や苦悩を吐き出してみたところで、結局打開策はひとつ。忘れるそのたびに、ただひたむきに覚え直していくしかありません。何度も。何度も。何度も。

 淡い色彩も、重ねることで、やがて濃く映えるときがくるでしょうか。