前田智徳、引退

 そう遠くない将来に確実に訪れるだろうと覚悟していた悲劇が、今日やってきた。重々覚悟していたのに現実感はまだない。なぜだろう。まるで夢の中の出来事のようだ。

 前田智徳、引退。

 世間的にはひとりのプロ野球選手が引退しただけ。だけど自分にとっては人生の生き甲斐がなくなったも同然の悲劇だ。ただ、前田自身にとっては悲劇ではないだろう。ようやく休むことができるのだから。もう何年も前から引退を決めていたのに、なかなかユニフォームを脱ぐことができなかった葛藤からやっと解放されるのだ。悲しむべきことだが、おつかれさまという言葉に「ありがとう」と添えたい。

 前田を知ったのは入団2年目だった。多くの前田ファンがそうであるように、前田の打撃を、前田の守備を、前田の走塁を見てすぐに虜になった。それから23年間、前田の一挙一動をずっと注目して生きてきた。青春時代から今に至るまで、自分の中で前田より優先するものはなかった。家族も、クラスメイトも、昔の彼女も、僕がどれだけ前田に惚れ込んでいたかをイヤというほど知っている。愛知県出身で広島には縁もゆかりもないない自分がカープファンである唯一にして最大の理由が、前田智徳なのだ。

 引退会見で悔しさを滲ませたように、前田の志は相当高いところにあった。そして、怪我をするまでは前田自身も「自分がどこまでいけるか楽しみでしかたがない」と言っていたように、その成長ぶりはとどまるところを知らなかった。しかし、あのアキレス腱断裂を機に、「天才」前田の野球人生は「怪我」との戦いがメインテーマになってしまった。走攻守すべてが揃って初めて一流選手であると常々口にしていた前田は、その時点で死んだ。残ったのは、怪我と付き合い、怪我と戦い、怪我を克服して、少しでもチームに貢献する方法を模索し続ける前田だった。

 そして前田はカムバック賞を受賞するほどまでに回復し、ついには2000本安打の金字塔も打ち立てた。2000本を達成した試合は本当にすごい展開で、終盤、チームメイトが執念でつないで前田に打席を回し、見事に偉業を達成することができた。アキレス腱断裂をした時には夢のまた夢だった大記録だ。あの時前田が見せた涙は、前田自身がどれだけ苦しんできたかを物語っていた。

 正直言ってXデーが今年になるとは思っていなかった。宮本や石井など、往年の名選手が成績を落として引退を表明していくなかで、代打とはいえ3割を打てる前田はまだ十分通用する必要な戦力だったからだ。カープは今年16年ぶりのAクラスにはなったが、前田が骨折休養をしてから「代打前田がいれば……」と思った試合はひとつふたつではなかった。マシソンや西村、浅尾からクリーンヒットを期待できる選手が、今のカープに果たして何人いるか。あと1年はやってくれるだろうと思っていた矢先の引退表明だけに、喪失感は果てしなく大きい。

 繰り返すが、前田は自分の生き甲斐だった。前田の一挙一動に毎日揺り動かされていた。前田のヒットが、ホームランが、攻守が、好走塁が、四球が、三振が、セカンドゴロが、構えが、ガッツポーズが、傾げる首が、凡フライが、歯を食いしばった顔が、すべてが明日への糧だった。生き甲斐はまた見つかるかもしれない。けど、ここまで深く人生に影響を与える人物はもう二度と出てこないだろう。

 バッターボックスに入り、一度バットを見上げるあの動作。そしてピッチャーが渾身の力を込めて投げ、それに合わせてバットを出す―。その一連の流れを、今度は監督として見つめる前田の姿がいつの日か見られることを祈っている。カープの前田は引退しても、その雄姿は一生消えることはない。それはわかっているのに、この喪失感はしばらく、もしくは一生埋まることはないだろう。