未年の回顧と申年の抱負

2015年12月14日、二十代の頃から抱いていた「FMラジオで音楽番組をやる」という途方もない夢が叶った。企画・構成・選曲を自分でこなし、小林克也ばりの提供読み、さらには憧れだった後の番組のパーソナリティとのクロストークまで実現することができた。トークの拙さは仕方のないところだけど、自分としては相当な満足感を得ることができたし、何よりとても楽しかった。偶然(と少しの努力)の産物とはいえ、夢って持ち続けていたら意外に叶うものなんだとわかった。これが2015年の最大のニュースだ。

また、新しく俳句という趣味が増えた年でもあった。毎週のように兼題を詠んでいくうちに自分の句が雑誌に掲載されたり、かの夏井いつき先生に添削してもらえたりとそれなりの爪痕は残せたと思う。夏井先生にご教示していただいた「あえか」という語句は恥ずかしながらこの歳にして初めて知った言葉だった。美しくかよわげなさまを表す形容動詞だが、はたしてこの言葉を上手に使える日が来るのだろうか。まだまだ精進が必要だ。なお、自分が今年詠んだ句でいちばん気に入っているのは「下露の落つる揺らぎに蝶去りぬ」だが、残念ながら評判はよくない。世間との価値観のズレを痛感する。

万年筆はプロフェッショナルギアとカスタムヘリテイジ912とプロフィット21とカスタム74(×2本)が増えた。逆にコクーンとプレラとカクノとペリカーノJr.は手放した。完全に金ペン中心にシフトしている。いま手元にある鉄ペンは、名入れしたものとカキモリオリジナルだけ。インクは数えきれないほど増えた。でも、目標どおり色彩雫をコンプリートすることはなかったのでそこだけは褒めたい。オブザイヤーを選ぶとしたら、万年筆はプロギア、インクはSTORiAのLionあたり。総じて充実した万年筆ライフを送れた一年だった。

しかし、ポジティブなニュースはこれくらいで、あとは概ね大殺界らしい負の一年となった。何よりもつらかったのは飼っていたハムスターの死だ。寿命的に2015年いっぱいだろうと覚悟はしていたが、幸か不幸か心臓が止まる最後の瞬間まで看取ることになり、その時の映像が脳裏に焼き付いて離れない。思えば、これまで死に立ち会ったことはあっても、命が絶えるその瞬間に立ち会ったのは初めてのことだ。以前ハムスターを亡くした時もそうだったが、「はたして自分に飼われて幸せだったのだろうか」という本来は考えるべきではないであろう自問から逃れることができない。生き物を飼うというのは非常に重い責任を背負わなければならないんだと再自覚した。

また、いろんなモノが壊れた一年だった。車のバッテリーの寿命が尽きたのはまだしも、MacBook Airのバッテリーが死んだのは痛かった。しかもまだ交換していないので、常に電源コードを接続していないとコンピュータとしての体をなさない状態になっている。なぜ交換しないのかというと、この機にそろそろ新しいMacを買ってもいいんじゃないか、と自分の中の悪魔がささやいているからだ。しかし、あまり外でMacを使っていない現状(と財布事情)を鑑みると、今のままでも生活に「直ちに影響はない」と、政治家のように考えてしまう。ただ、モノが立て続けに壊れるのは新しい人生を迎える準備とも考えられるので、2016年こそはポジティブに思考していきたい。 

申年の目標は、何はともあれスーベレーンM800緑縞を手に入れることだ。といっても単に資金を貯めるということではない。一本一本の万年筆に物語を込めている自分は、スーベレーンに「試験合格」という物語を込め、日夜勉強に勤しんでいる。たとえ宝くじが当たっても、おいそれとは買えないのが万年筆なのである。