解放、喪失、そして終わりのない邁進

自己採点は決してしないつもりだったけど、一晩あけて少し落ち着いたせいか、もしくは"次"に向けての原動力が欲しいと思ったからなのか、やはり結果と真摯に向き合うことにした。自分の一年分の努力の成果から目を背けるのはあまりに無責任だという気持ちもある。

結果―

やはりダメだった。届いていなかった。出来たかどうかはわからなくても、出来なかったかどうかはさすがにわかる。その予感どおりの現実が自分に容赦なく訪れた。

ただ、思った以上に点数はとれていた。自分が受けた4回の模試のどれよりも点数は高かった。もし午前の部であと1問多くとれていたら合否ライン上にいたかもしれない。それに、マイナー科目は満点だった。Wセミナーの竹下師が「過去最高レベルに難しい」と分析していた民訴も満点だった。もちろん運の要素が限りなく良い方向に働いたおかげではあるんだけど、それだけは胸を張ってもいいんじゃないかと思った。こうした瑣末なプライドが、今後、自分を助けてくれる場面があるかもしれない。

では悔しさはあるのかというと、ない。全然悔しくない。あと1問取っていれば勝負になっていたかもしれないというのに、悔しさはこみ上げてこない。

理由のひとつとしては、今回の結果はたまたまいい方向に出ただけ、というのがある。自信を持って正誤を判断できた肢はほとんどない。たまたま「あと一問あれば」という結果は出たけれど、実力的にはまだ全然合格レベルに程遠い。もちろんまぐれでも合格するにこしたことはないんだろうけど、その一方で落ちて当然とも思えるということは、また腰をすえて勉強する覚悟が自分にはあるということの表れなのではないかと思う。もう余力はなかったけれど、継続する根気は今もなお残っている。

悔しさがこみ上げてこないもうひとつの理由は、今回の結果は怠惰な努力不足が招いたものではないと思うからだ。過去のいくつかの場面のように、やらなかったからダメだったのではない。やってもダメだっただけにすぎない。今回、120%の努力をしたとまでは言えないけれど、少なくとも100%の努力は続けられたと思う。精一杯やってダメだったらしかたない。単に個の能力が劣っていただけだ。ある人は一年で受かるが、凡人ではそういうわけにもいかない。人には適性というものがある。その適性を超えて事を成すには、努力と時間でカバーするしかない。休まないウサギが数多くいるこの試験においても、勤勉で愚直なカメが立ち入る隙はあるはずだ。

幸いなことに、敗因ははっきりしている。民法で5問も落としてしまったことだ。最低でも17問はとらなければならなかった民法で、2問もロスをした。たかが2問。しかし、この2問には1000人近くの受験者がひしめき合っているだろう。

原因もはっきりしている。勉強をしなかったことだ。民法は、一年前に勉強を終えて以来、ほとんどやらなかった。ある程度はできるだろうという過信があったのと、他の科目の勉強に時間をとられたせいで、最優先科目であるにもかかわらず、後回しにしたうえ、結局最後の最後まで手をつけることができなかった。試験前日はマイナー科目に時間を割いたが、そのマイナー科目の結果がよかったことを考えると、民法を放っておいた自分の戦略ミス以外のなにものでもない。最後の一週間のどこかに民法を組み入れていれば、あるいは違った結果がでたのかもしれないが、正直、あの時期の自分にその選択肢はなかった。その時点でもう敗北は決まっていたわけだ。

司法書士試験は、今年28問とれたからといって、来年も28問を維持できるという保障はどこにもない。下りのエスカレーターを逆走して駆け昇るようなものだと喩えられるように、この世界では絶えず勉強を続けていないとすぐに知識が抜け落ちる。だから、今年惜しかった自分があと一年の勉強で合格できるという保障は皆無ではあるけれど、それでも自分なりに手応えをつかめたと思っている。11科目をひと通り終えて、初めて見えてきたこともたくさんある。

今年の試験はゴールではなく、折り返し地点だった。そう言えるように、もう一年だけ、がんばろう。